かわきた第237号(2012年3月発行)掲載 川崎の自然をみつめて
飛べない冬の蛾 フユシャク♀

かわさき自然調査団 岩田臣生

今回紹介するフユシャクというのはシャクガ科の蛾の総称です。希少種ではなく、全国の雑木林に普通に生息する蛾です。しかし、成虫は夜行性で、昼間は落葉の下や葉裏、木々の隙間などに隠れているため余り人目につく蛾ではありません。
興味深いのは、成虫が冬に出現して繁殖行動を行うこと、そしてメスの翅が退化していて飛べないということです。
多くの昆虫の成虫は春から夏に出現します。冬に出現して、寒い夜に繁殖行動を行う昆虫は極めて珍しいのです。天敵が少ない冬を繁殖期にするという生存戦略をとっている生物と考えられています。
フユシャクは年1化、つまり、卵〜幼虫〜蛹〜成虫という完全変態の生活史を1年に1回行います。成虫は冬、11月〜3月に現れて、飲まず、食わずで、繁殖行動のみを行い、1ヶ月程度生き続けます。卵は3〜4月に孵化し、幼虫になります。幼虫はシャクトリムシで、10〜15日で土中に潜り、蛹になって、成虫出現期まで休眠します。この生活史を考えると、一生に必要なエネルギーを2週間ほどの幼虫期に摂取していることになり、これにも驚かされます。昆虫の世界は不思議に溢れています。
メスの翅が退化して小さくなっていたり、失われていたりして、飛べないということも大きな特徴で、その姿は写真のように小さなモンスターです。メスは飛べないため、尾部よりフェロモンを出してオスを呼び集め、交尾します。厳寒の冬、多くの種では日没後数時間に、このドラマが展開されています。オスは普通に飛翔するのに、メスは飛ばないという道を選択した進化の歴史はどのようなものだったのでしょうか。興味が湧いてきませんか。
孵化後間もない幼虫が糸を使って風に乗って散ることは知られていますが、メスが翅を退化させて飛べないということは分布域を広げることを困難にしています。
ところで、生物の種についてですが、昔は、同じ種であれば全国どこに行っても同じ生物だと思われていました。ところが現在では、移動性の低い生物の場合、種の下のレベルで地域ごとに異なっていることが分かってきました。これらを地域個体群とか、地域系列とか呼んでいます。移動能力の小さい生物は地域ごとに、長年月にわたって孤立して世代交代を繰り返しているため、同じ種でありながら、遺伝子レベルでみると異なることがあるということが分かってきたのです。
繁殖期を冬に選んだフユシャクの仲間は、地域の歴史を遺伝子に記憶している地域個体群である可能性があります。
冬の生田緑地では、昼間、木道の手摺りの上に、このフユシャクのメスがジッと動かないでいるところを良く見かけます。ルーペで見ると、怪獣にしか見えません。でも、小さくて、色は薄茶色のものが多く、手摺りに溶け込んで、ゴミにしか見えません。それでも手摺りの上は見やすい観察ポイントです。多くの緑地では生息しているにも関わらず、散歩の途中で出会う機会はまず無いでしょう。生田緑地では13種が確認されていますが、川崎市全域では何種生息しているのか分かっていません。
冬の雑木林を散歩する時には、落葉の下に隠れそこなったような個体に出会えるかも知れません。是非、ルーペをポケットに入れて、散歩を楽しんでください。

翅を失った種 フユシャク亜科♀ 小さい翅を残す種 ナミスジフユナミシャク♀ 特異な紋様を装った種 チャバネフユエダシャク♀

この文章は、かわきた第237号 2012年3月発行に掲載されたものです。
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