特定非営利活動法人かわさき自然調査団について



建築の研究173( Feb. 2006 (社)建築研究振興協会、2006/2/1発行 ) 5〜7頁
かわさき自然調査団について

岩 田 臣 生

 かわさき自然調査団は、川崎市域をフィールドとして、自然の調査研究をしている団体である。
 川崎市多摩区の生田緑地には川崎市青少年科学館があり、1982年に自然系博物館として登録された。これを契機に、青少年科学館では川崎市民に呼びかけ、川崎市域の自然を調査する事業を開始した。この時に市民ボランティアとして参加し、その後も継続して活動してきた市民が、指導にあたっていた専門家と一緒に組織化し、かわさき自然調査団をつくった。この調査活動は20年におよび、2003年に特定非営利活動法人の設立認証を得て特定非営利活動法人かわさき自然調査団となった。
 私が、かわさき自然調査団に関わることとなったのは、このNPO法人化の手続きを引き受けたことからである。この手続きは、認証窓口がNPO法人を世に出したいと思っているのであるから簡単なものだと考えたのだ。むしろ、かわさき自然調査団の実態を把握することの方が大変な作業であった。 認証手続きは数回の事前相談をしただけで、申請してから3ヶ月経った同年11月26日には設立認証を得て、同日、法人登記を済ませることができた。
 かわさき自然調査団が活動の根幹とする川崎市自然環境調査は、第1次調査(1983.4〜1988.3)、第2次調査(1988.4〜1991.3)、第3次調査(1991.4〜1995.3)、第4次調査(1995.4〜1999.3)、第5次調査(1999.4〜2003.3)と続けられ、川崎市教育委員会として調査報告書を出してきた。 現在、第6次の調査中であり、日常的活動として、昆虫、クモ、植物、シダ、野鳥、地学などの班に分かれて進めている。 そして、2007年3月には第6次川崎市自然環境調査報告書を発行する予定である。
 第3次川崎市自然環境調査終了後、青少年科学館との協働事業として生田緑地での観察会を行うこととなり、各班がガイドを担当することとなった。 現在、毎週日曜日、年50回の生田緑地自然観察会として企画、運営している。
 生田緑地自然観察会とともに、青少年科学館特別展示の企画、制作、展示も行うこととなった。 こちらは年4回程度、生田緑地の自然について、或いは、かわさき自然調査団の調査結果の発表などとして開催している。
 以上、川崎市自然環境調査、生田緑地自然観察会、青少年科学館特別展示の3つの事業は、青少年科学館から事業委託を受けて実施している協働事業である。
 ところで、生田緑地では1998年12月に萌芽更新を目的に、成熟したコナラ林(1,200u)の伐採が行われた。 かわさき自然調査団の植物班では当該地区の600uを調査区として、植生回復の過程を追求し、正常に更新が進行するための管理手法を提起することを目的として月1回のモニタリングを始めた。このモニタリングは2003年からは年4回実施している。
 2002年から新たな自主事業「皆でできる自然調査」を開始した。 かわさき自然調査団が市民に呼びかけ、身近な自然を調査するもので、地域の市民が地域の自然に関心を持つことが地域の自然の保全につながると考えている。 この調査のまとめ方は基本的には川崎市域をメッシュに区切って、そのメッシュ毎の調査結果を整理し、川崎市全域でどの様になっているかを評価するものである。 2002年度はセミ、ウグイス、松を、2003年度はセミ(第2年次)、カワセミ、松、ダンゴムシを、2004年度はセミ(第3年次)、セキレイ3種、樹林、ホトケドジョウを、2005年度はセミ(第4年次)、セキレイ3種(第2年次)、樹林(第2年次)を調査している。
 NPO法人となった翌年3月に生田緑地ホタルの里第4期整備が完了したが、そのホタルの里の休耕田を田んぼに再生しようという話が土壌生物グループのメンバーの中から起こった。どの様に進めるかなどを北部公園事務所と話し合い、4月初めに元の地主であるY氏と北部公園事務所と3者で相談して、田んぼを再生する場所を決めた。 この田んぼづくりを進めるために、4月の通常総会において、水田ビオトープ班を新設した。班員は6名、うち4名が女性であった。このメンバーで田んぼづくりが始まった。こうして、かわさき自然調査団としては初めて、自然保全活動を開始することとなった。
 初年度は、苗は購入することにして、まず田起こしにかかった。対象地に足を踏み入れてみたが、殆ど沈むことはなかった。 事前に生物調査を試みたが、地表には数種類のクモ、地中には、ミミズ、ケラ、体長6cm程の蛆虫、即ちミカドガガンボの幼虫などが、水たまり状のところにはヘビトンボの幼虫、カワニナなどがいた。ここは、チゴザサの根が厚さ20cmぐらいに絡み合って広がっている。 田起こしは、これをスコップでブロック状に切り出し、土を洗い落とし、根は畦として積み並べる作業となった。 この根がなくなると膝近くまで簡単に沈んでしまう。その底あたりに更にヨシの根が広がっていた。チゴザサの根を切り出す作業は大変で、スコップを突き刺すことができたのは、私のほかは若手の女性2人だけだった。4月に始めた作業はなかなか捗らず、実働19日間、実に1月半を要したが、5月末には田植えをすることができた。
 途中、水面が広がりだすと直ぐにシオヤトンボがやってきて産卵行動を始めた。沢から1〜2尾のホトケドジョウが入ってきたと思ったら、田起こしが終わる頃には体長6〜8mmの稚魚が群れだした。シュレーゲルアオガエルの雌がひとまわり小さな雄を背中におぶってノタノタと歩いていたと思ったら、何日か後には草の根でつくった畦の中で卵が孵化し、田んぼの中をオタマジャクシが泳いでいた。ツバメも飛んできた。シマヘビは田んぼから離れようとしなかった。様々な生き物との出会いがあった。 田植えには北部公園事務所から職員5名、青少年科学館から職員3名、その他8名が参加し、総勢20名となり、田起こしが完了し田植えができたことを祝った。
 稲は順調に育ち、7月末には出穂したが、9月に入って雨が続き、稲刈りは台風に振り回されたあげく、9月末に慌ただしく実施した。
 ところが、この夏、ホタルの里では無法とも言える草刈り騒ぎが起こった。貴重な植物が生育しているとされていた地区の草刈りは脅威であった。真夏の太陽に晒され地面は乾燥していた。こうした行為について行政に抗議したが、行政も手をやいている人物であることが分かった。結局、決定的な解決策を講じることはできなかった。この情況から、当該地を湿地に再生させる計画を立てた。
 9月中旬、川崎市では「かわさき市民公益活動助成金」という制度を開始し、これの説明会が行われた。初年度のスタートが遅れたために、この時期となったのだが、これは私たちにとっては願ってもないタイミングであった。早速、申請書を書き、田んぼ再生、シンポジウム開催、湿地再生というホタルの里についての一連の事業をホタルの里自然保全事業として申請した。
 シンポジウムは、当該谷戸の自然保全活動の目的や考え方を行政との間で共有することであった。シンポジウムのテーマは「市街地の中の里山“生田緑地”の自然をどう考え、どう保全するか」とし、この谷戸に昔から自生しているゲンジボタルを軸に進めた。北部公園事務所からはM所長が、青少年科学館からはU館長が参加してくれた。 このシンポジウムによって、ゲンジボタルなどは遺伝子レベルでみると谷戸毎に異なっていること、地域固有の遺伝子を保護することが自然保全における重要な観念であること、また、こうした遺伝子の攪乱を防ぐ意味で「持ち出さない、持ち込まない」など、自然保全活動を進めていく上での重要なキーワードをあらためて認識した。
 湿地再生地はかつては田んぼであったが、狩野川台風の土砂崩れで土が悪くなり、その後、畑に転換したところであった。排水をよくするために様々に工夫の跡が見られた。また、かつては湿地性の貴重な植物があったと聞かされていた。そこで、その中の2種の再生を目標に設定し、湿地再生を計画した。また、事前調査で絶滅が危惧されるコケも見つかっており、「取り返しのつく範囲で」作業を進めることとした。
 晩秋から冬にかけて、生田緑地の湧水は豊かで、水を導入しながら作業をしていると周辺の土が湿っていく様子がよく分かる。この地区にはモグラの穴も多く、そこから抜けてしまうことも多いが、それらを一つ一つつぶして塞いでいった。冬期の土をいじる作業は嫌われる様で、夫婦2人だけの作業の日が多くなったが、梅の花が開く頃には概ね、第1次の再生作業を終わらせることができた。
 ここは夏には度々水が枯れていたが、目標に設定したうちの植物1種は復活し、多くの花を咲かせてくれた。
 翌年2005年度の田んぼの田起こしは、女性4人と私とで、たった1日の作業で概ね完成した。 これで田んぼが2倍になった。しかし、里山の自然学校というプログラムを組み込むことで、この年の田んぼ作業は快適に進められた。
 里山の自然学校は2005年度に開始した事業である。 小学4〜5年生20名を対象として開校した。田植え、稲刈り、脱穀という田んぼ関係の活動、四季の里山体験活動、プールのヤゴの救出作戦、夜の昆虫観察、昆虫標本づくりなどをプログラムにしたものである。子どもたちが、身近な自然の見方、接し方を知って、身近な自然を大切にしてくれる人間に育って欲しい。企画の段階では不安も多かったが、始めてみると毎回、子どもたちのエネルギーをもらっている様で、ことのほか楽しい活動となった。田んぼの再生保全活動も、子どもたちと一緒にやることで、別次元の楽しい活動に変化した感じがしている。このことは本当に大きな収穫である。今まで田植えをしたいと思ったことはなかった。これが農業としてしなければならないとしたら、こんなに楽しいはずがない。今、自分たちがしている田んぼ作業は、自然の保全と里山らしい景観の保全という目的を設定することによって収穫量を意識する必要がなくなっている。都市公園の中の田んぼだからということも収穫量は二の次でよいという意識を強めている。稲を育てるという過程は、日本の一つの文化を体験することであり、身近な地域の田んぼが消えつつある現在、文化体験としての意味も大きい。そして勿論、実際の生き物よりも知識としての生き物の比重が大きくなってしまった子どもたちにとっては、稲刈りをしながら泥まみれになって田んぼの中からアメリカザリガニを捕まえるなどの自然遊びは夢中になれることだったようだ。子どもの健全育成という視点からも重要な活動になったのではないかと思っている。
 私たちは、この活動を通じて多くのことを学んだと思っている。子どもたちに教わることも多い。生田緑地という「市街地の中の里山」は、こうして子どもたちと共に学ぶ場となった。この活動をシステムとして確立していくのはこれからだが、新しい都市型のレクリェーションになる可能性があると思っている。 水田ビオトープ班は生田緑地の自然保全活動を目的として活動を開始したが、生き物の生息場所を管理するという観点からは、行政にはできない部分を補完していると自負している。子どもたちを巻き込んでの田んぼづくりなどは、公園管理者も計画していたことであったが、それを私たちが実現したのだ。まだ、役割分担などシステムとしては確立されていないが、より良い協働に向けての第一歩が踏み出せたと思っている。
 地方公共団体においては、市民と行政の協働について関心が高まっているが、私たちの活動は全て何らかの形で協働なくしては進まない。しかし、それは、行政の担当窓口となる人物の資質次第で大きく左右されることを痛感している。この2年間の水田ビオトープ班の活動が順調に展開されてきたのは、良きパートナーとなれる担当者に恵まれたことによるものだろう。そして、当然のことながら、20年以上にわたって続けてきた調査・研究活動があったからであると思っている。
 つい数年前まで、川崎にこんな魅力的な自然があるとは思ってもいなかったし、自分がこんな活動をするようになるなどとは思ってもいなかった。私が川崎都民生活をしている間、カミさんがかわさき自然調査団の事務局として活動していたこと、そのカミさんが病気で倒れ、それでも活動を続けたいというので応援のつもりで始めたことである。しかし、生田緑地の田起こしに毎日の様に通っていたことから、身近な自然の魅力を知り、生田緑地で過ごす時間が素晴らしいと感じる様になった。こんな生き方があってもいいだろうと思っている。

                        2006年1月
                        特定非営利活動法人かわさき自然調査団
                         水田ビオトープ班班長 岩田 臣生

この文章は、建築の研究173( Feb. 2006 (社)建築研究振興協会、2006/2/1発行 ) 5〜7頁に掲載されたものです。
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